マロンの徒然趣味のブログ

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潮紗理菜の精神的波及効果の一考察〜潮紗理菜卒業論文〜

1.はじめに

 この論文みたいなものは先日日向坂46を卒業した潮紗理菜に関しての略歴や他者の精神にもたらした効果についてまとめつつ個人的な思い出や想いを綴った駄文である。

 本論文は7つの章で構成されている。

 なお2章の略歴、本論文で登場するメンバー名については実名とするが今後芸能活動を引退した場合には別途名称で置き換えて削除を行うことをここに記す。

 

2.潮紗理菜とは

 まず潮紗理菜とはについて記す。なおここでは主に潮紗理菜そのものの内容をまとめるため所属グループの詳細な略歴等に関しては省略する。別途記述する書籍等を参照されたい。

 潮紗理菜は1997年12月26日生まれ、グループ公式出身は神奈川県。本人談によると出生地は祖母の家があった長崎県である。その後父の都合でインドネシアジャカルタに転居、小学2年生までを過ごした。名前の紗理菜はインドネシアに実在する「サリナデパート」に由来する。その後帰国後は神奈川県で過ごした。

 2016年に当時の欅坂46(現櫻坂46)の追加メンバーとなった長濱ねるの仲間を集める(とされた)別グループけやき坂46(読み:ひらがなけやきざか46)の1期生の追加11名として加入した。2015年末に募集が始まったこのグループの応募を決断したのは締切直前放映された乃木坂46紅白歌合戦で卒業直前の憧れの人の姿を見てであった。

 けやき坂46等の活動に関しては以下添付する関係公式書籍を参照されたい。(書きたいことが多すぎてしまい到底読める代物ではなくなるため)

 憧れの世界に飛び込み苦しみも味わいながらも2019年日向坂46として改名、デビューした。

 2022年には初めての個人としての舞台出演「フラガール〜Dance for Smile〜」に主演で出演、また同期間にMVが公開された1期生曲「真夜中の懺悔大会」で初めてのセンターを務めた。

 2023年には4月から念願の冠ラジオ番組「日向坂46潮紗理菜のサリマカシーラジオ」(毎週火曜23:30〜24:00 interFM)で12/26放送回までメインパーソナリティを務めていた。また7月には2度目の舞台となる「Les Misérables 〜惨めなる人々〜」でコゼットを演じた。

 9月に卒業を発表、12月9日にKアリーナ横浜で行われた「Happy Train Tour2023 追加公演」内で卒業セレモニーを開催、2023年内をもってグループ活動を終了した。

 彼女を形容する表現として度々マスメディアは"聖母"であるという表現を用いてきた。これは彼女が他人に寄り添いメンバーを支えることから呼ばれる様になったものである。この様な表現が坂道グループで主に用いられたメンバーは乃木坂46の元メンバーで現在女優として活躍する深川麻衣以来のことである。一方でファンの中では躍動感あるダンスに魅力を感じるものも多く、各種ライブでの姿は他メンバーにも影響を与えた。また話好きであることが知られているほか数字の8に強いこだわりを持つ。

 

 

3.既存研究と関連

 本手は潮紗理菜についてメンバーとファンを結ぶ架け橋となり貢献しており面白さも含めて魅力的であるとしている。日向坂46潮紗理菜、ファンとの架け橋としての役割も担う - Real Sound|リアルサウンド 

   本論文では潮紗理菜のファンから見た魅力ともたらしたもの、思い出をまとめる。

 

4.ファン視点での魅力、もたらしたもの

 潮紗理菜の魅力としてはそのキャラクターに対する魅力が大きいだろう。明るく、人を想う、少し天然気味。悪い言い方をすれば温室育ちで世間からは少し離れたひとであり嫌われるポイントにもなりかねない。しかし当人からその様には感じさせない。むしろそれさえも魅力にしている。冠番組でのトークは人の良さを溢れさせ、だからといい自慢の様なことはせず奥ゆかしさの様なものを感じる。これはファンへの対応も同じで分け隔てない。幾度となく(学生故数は他社と比べて少ないが)握手会やミートアンドグリートのようなイベントで会話する中でも感じられた。この手のイベントでよくあるのがメンバーとの会話が成り立たない、いわゆる"事故"になってしまうことだ。しかし潮紗理菜のレーンではそんな話をほとんど聞かない。話を振れば聞いてくれる。そして内容は888倍になって帰ってくる。もし苦しい思いも話せばそれに寄り添ってくれる。もし話すことがなくても話をしてくれる。強いていうなら話したがりが重なって話がぶつかってしまうことだろうか。よく本人がイベント間近になると「私が話しちゃうからしっかり話したければ開口一番でねえねえって言って」とブログなどで言っていたことを思い出す。

 人の話をしっかりと聞いてくれる、寄り添ってくれるというのも語る上では欠かせない要素である。

卒業にあたって多くのメンバーがこの寄り添ってくれるというエピソードを様々な媒体で語ってくれた。もたらしたものとしては1番多いものだろう。基本的に全メンバーにこの寄り添い、そうしてもたらされたことばというものが響いてるはずだ。それが後述する卒業セレモニーにおいて多くのメンバーが涙し、「ありがとう」と伝える要因にもなっている。

 躍動感あるダンスも魅力である。元々バレエを習っていたことから柔軟性もありしなやかでかつその小柄な体とは思えない大きさの動きを見せる。これはポジションに関わらない。後列の後ろであろうと端であろうと自分のすべき動きを超える動きを見せる。このダンスに魅了されてグループに加入したメンバーもいる。2017年、当時のZeppツアーでこの姿に魅了され2期生オーディションを受験、加入したのが小坂菜緒である。同様に3期生の森本茉莉も憧れてこの世界の門を叩いた。この2人に憧れ加入したメンバーは多い。しかしその始祖を考えると潮紗理菜は日向坂46のグランドマザーなのかもしれない。

 これ以外にも多くの魅力がある。何か本人の処理能力が超えてしまうと起きてしまうウシウシパニックと言われる様な姿も、どこか世間知らずで夢の国にいる様な周囲からもたらさられるエピソードトークももはや彼女にとっては魅力的だ。魅力があるというのに本人はいやいや、と謙遜する。そんな姿すら良いのだ。

 

5.個人的な思い出(〜卒業発表)

 (ドームブログとダブる部分があります)

 初めて潮紗理菜という人間を見たのは2017年の3月のことである。当時の「欅って書けない?」という番組、前半はメンバーのブログチェック、後半がひらがなけやきのメンバーを長濱ねるが紹介するというものであった。この時の後半企画のトップバッターが彼女であった。バラエティ番組は2回目の出演で慣れておらずこの頃と今を比べるとキャラ付けも全く違うものでおそらく本人は恥ずかしいはずだ。しかしアイドル初心者で推しもいなかった私には妙に刺さった。有象無象のアイドルの中から「気になる子」になった瞬間である。そこから興味を持ち徐々にのめり込んでいった。初めてのライブはZeppツアーファイナル公演の幕張メッセイベントホール。ひらがなけやきとしても初めてのサイズの箱で行われたこのライブが初めての経験だった。幸い中学時代の同期も好きで連れて行ってもらい様々学ばせてもらったのを思い出す。ここで披露された"誰よりも高く跳べ"の際にレスをもらったことが決定打になり完全な潮紗理菜推しへの入り口となる。

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会場で写真を撮ることもなく唯一残っていた会場の記録。まだFC会員になる金もなかった。

年は明けて2018年の1月。人生初の握手会へ。「風に吹かれても」の全国握手会の関東会場、幕張メッセ。9:00に並んで入場は14:30、翌日えらい目に遭わされる寒さに悶えながら翌日の英単語テストの勉強を上の空でしながら凌ぎ握りしめた4枚の全握券で初めてのご対面。

当時の14レーンは潮紗理菜/丹生明里。ガチガチでまともな話できなかったけど記憶にだけははっきりと覚えているあの姿…。もっともっとのめり込んでいく。気になる人はX(旧Twitter)でレポを探してみてほしい。まともに話せてない。

なお翌日は関東地方は大雪、都心で23cmの積雪となり無事前日もあり風邪を引いたのはいい思い出。

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例によって会場写真がないので雪で。

 この後いろいろあって武道館公演を3公演やり(金銭事情で行けず)後悔しつつも1stアルバム発売記念東名阪ツアー(なお未発売)横浜公演へ。

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やっと会場写真が出てきます。なんだかんだ忘れられないツアー。

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発売時期のシブツタジャックも。

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六本木駅に広告出てたのは懐かしい。

そしてついに個別握手会デビュー。レポは凡。気になる人はこれもやっぱり探して欲しい。大したもんはない。ただ推しの良さに酔いしれ、浴衣にやられた記憶はある。なおこの辺もなんかいろいろ学校行事とか多忙を極めており終わりの頃には体調を壊した。

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けやき坂46の握手会っていう文字で感動したなあという。

そこから修学旅行で海外に行ったりしてヲタクはお休み。次の現場は年末の"ひらがなくりすます"。

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たぶん楽しさでは過去1番だったライブ。多幸感という中ではトップ。(円盤年明けまで買える見通しなし)

そしてデビューが決まって。

この裏で自身の学業成績は下を向きやる気を出したものの系列校推薦をわずかな成績差で失った翌春。そんな想定をせず初遠征の予定を組んでいたため親に呆れられながらも名古屋へ。

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ポートメッセなごや。この頃は複数回くることになろうと思っていた。

ここで区切りをつけて受験勉強生活。

んでやれ来年はドームだのというタイミングでしっかり私は志望校合格を掴み取った2020年。それを見越して取ったソンコトの握手券。

現実は非情にもコロナ禍へ。

12月、再会したのは画面中。やれあの頃は握手会が良かったなあと愚痴っていたことを思い出す。

でも久しぶりに会っても推しは変わってなくて少し感動した記憶。

そこからミーグリを積み重ねて21年の冬。久しぶりのライブ、リアル現場はひなくり2021、そして前開催冬のユニット祭り。青いプラ柵との再会だったり。いろいろ懐かしい人に会えたりしてちょっと感動した記憶。

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 あの日、どうしても映像見ても涙は出るけど実感はなかったドームの正式開催日が決まって実感となり涙が止まらない夜。雪も帰る頃には舞っていてプチホワイトクリスマス。忘れないだろう。

年明け2022年、ついにやってきたドーム。

あの日の約束、覚えてる?〜これまでと、これからと。感謝のお話。〜(ひな誕祭in東京ドーム) - マロンライナー(横ヤコ)の徒然趣味のブログ

色々な「なつかしい」と再会できたライブ。

それが終わるとフラガールがあって、懺悔大会が公開されて。そんな幸せな時期。

そこで発表された肩の負傷とツアーキャンセル。

ライブで再会できたのは年をまた跨いで2023年。場所は私の第二の実家のような横浜スタジアム

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自分が普段いる場所で、推しがユニフォームももらって。またこれも夢のような期間だったなと思う。

そこからまた舞台へ。最前列で見れた感動は忘れないだろう。

対面イベントの復活もあった。ちょっとずつ「あのころ」が帰ってきた。

そして全国ツアー横浜公演、純粋に楽しめた最後の公演。

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こいつが助役なのか主任なのかという余計な話はやめておこう。(とりあえず駅長ではない)

満足感に満たされた翌日。卒業発表。

 

6.個人的な思い出(最後の4ヶ月)

 当時のXへの投稿でも記述したがアイドルの一つの境目になるのは24歳だと考えている。24歳超えると残留率が極端に下がる。(近年はやや延命傾向にあるが)

これはこの世界ではない仕事に就くにしても大学院修士課程の学生と同じラインでスタートできるのが最短で24歳であるというのがひとつの目安になっていると個人的には考えている。(そこまでにおそらく同じ仕事ではない友達は就職活動を終えることが多い。)

だからそのラインを超えた2年前からそういう日は来るだろうという認識は常に持っていた。当然その日が来るだろう。そこまではわかっていた。

ただ覚悟は足りなかった。そうなったときに自分がどうなってしまうのか、そういう覚悟がなかった。

 その日その瞬間は本物の卒研を同地域で行ってる学友とオンラインミーティングを行っていた。それが終盤に差し掛かったころ、携帯に公式からブログ更新通知がついた。「感想だろう。」と思っていた。通知からブログを開き、読んだ。卒業の知らせだった。

なんだかそこで変に力が抜けてしまった。

午後から担務があり出勤日だった。泣けない。泣きたいけど泣けない。泣いたら目が腫れて仕事にならない。なんとも言えない虚無感に包まれながら勤務に向かった記憶がある。職場で同じように日向坂を好きな社員に慰められ、どこか上の空で勤務して帰った。

たまたま家を家族は開ける日だった。噛み締めなければならない。飲み込まなければならない。これまでを振り返りながら珍しくスペースしてひとり酒を飲みながら身体に無理やり酒と共に実感を流し込んだ。

翌朝、とりあえず飲み込み切ったのか呑み込んでリセットされたのかはわからないが嫌にスッキリとした。もう決まってしまったことだから。見届けるしかできないんだから。

そこでふと「名古屋か仙台に行こう」と思った。まだツアーは始まったばかり。まだ見れるチャンスはある。学割も全然使わないので残してある。幸い夏休みもしっかりと働いたのでたまたま資金もあった。直前のため一般には間に合わずとりあえず名古屋のチケットトレードのボタンを押した。最近名古屋行けてないとか色々あったが何よりも宿泊費もかからない名古屋は魅力的だった。

しかしご縁がなく結果的に名古屋には行けなかった。

 しかしもう後には引けなかった。卒セレ前に普通の推しがもう一度見たい。この一心だった。今度は宮城の一般販売。担務中の仕事の休憩を社員さんに調整してもらい販売開始前後5分の一本勝負で望んだ。

 勝ち取った。(なおこの公演日は当日まで空席がついてしまった日でもある)

 発券して座席検索をして何かに気がついた。

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「あれ、これ当たりなんじゃないか??」

なにしろ演出プランは全て横浜で見ている。

今ツアーは外周通路にトロッコを配置するタイプ。本編中は3期生が、アンコールでは各公演でランダムにメンバーが登場し間近でパフォーマンスを披露する。実は横浜でもかなり良席で連れて行った他推しがしっかり全部推しからレスをもらっている。最後の公演前にチャンスが来たと思った。しかし懸念事項もあった。すでに大阪初日でトロッコを担当してしまっている。もう一周なんてあり得るのか、そう思いながらまぁ推しが来なくても〜とか色々心に保険をかけつつとりあえず滅多に作らないプラカードを前日夜なべして作り、遠足前の小学生のようにほぼ寝ないで早朝、やまびこ51号に乗り込んだ。

(卒研の都合で行けなくなりそうな事案とかいろいろあったのだがそこは割愛する)

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白抜きがうまくいかず白がないペンラカラーのメンバー全員作ってる深夜のお写真。(なんかヲタクのやつがあるが気にしてはならない)


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眠い目をこすりながら新幹線、車窓からは各所から虹がかかるような日。当時の宮城エリアは強風で一部の列車は運休。そういえば会場のフォトスポットもお休みになっていた。色々予定した通りには動けなかったがなんとか会場にたどり着いた。

そんな宮城初日。通常通り公演は進行、予想通り、目の前の通路にはメンバートロッコが現れた。ここで後は…。そんな思いでアンコールへ。

アンコール、トロッコブロックで目の前に現れたのは推しメンだった。アクリル無しでは握手会以来の距離。勝った…!しかもレス付き…!!

これだけで遠征の価値がある。チケット代1万円とその他出費(X万円)はこの瞬間に昇華された。まさにプライスレス。(同じ思いで遠征した皆様しかわからない感動だと思う。)

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会場写真、昼間は色々映り込んでて夜しかまともなのがない。(編集が必須なものばかりだった)

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宿での祝杯。いつの間にか一緒に帰ってきた仲間には仙台駅で酒缶を贈呈するくらいには昂ぶっていた。

間違っても混んでるから司で弁当になったわけではない。メンバーと同じようにケータリングをもらった(ということにしている)。

 

 満足した宮城から帰りしばらくして最終公演がKアリーナの初日公演になると発表されたのもそんな頃だっだと思う。席数は約2万。勝ち取りたかった。

 チケット先行で戦い、負けを繰り返した。一般販売はご協力もいただいたが負けた。その間にはリアルミーグリがあった。最後にはしたくない。その覚悟で臨んだ記憶がある。

願ってもらったけれどチケトレも勝ち取れなかった。

 

 最後の公演をその目で生で見ることは叶わなかった。

 

 この目でもう生でアイドルとしての、最後の姿を見ることは叶わなくなった。

 

 どうであれ現場にグッズの受け取りを控えていたのでKアリーナに向かいそれを引き取った。その後はお世話になった皆様へのご挨拶に向かった。

 そんな中に入れる人たちにすべてを託して会場を去った。

 帰宅して配信を食い入るように見た。途中で何度か泣けてきたのを堪えて本編が終わった。

 アンコールという名の最後の時間がはじまった。映像から始まり、すでにそこで涙腺を抑える防波堤は決壊していた。セレモニーで話す一字一句を噛み締めながら涙を流していた。本当に最後なんだなと思うと共に綺麗だな。という言葉が浮かんだ。薄紫のドレスに身を包んだ彼女は綺麗で、尊い、そんな言葉が浮かんだ。深く考えないようにしていた「卒業」がもうそこなんだなと気がつき、また涙が出た。1期生での最後のステージを経て代表したメンバーが送辞を、全メンバーが花を渡していく最後の段階になった。2.3期は紗理菜ちゃんに憧れてきた3人、4期は紗理菜ちゃんの言葉に救われた代表例。そんな4人が話し、各メンバーが花を渡していく。花を渡した後、各メンバーの姿を見るとほとんどの目に光るものがあった。慕われるという言葉の意味はこのためにあるのだなと感じた。

 そして最後の公演は終わりを迎えた。終演後、いつのまにかティッシュの箱は8割近くあったものがすっからかんになり丸まっていた。

 そこから2週間。最後のミーグリがやってきた。話したいことはたくさんあった。手持ちは6枚約1分。限られた6枚をどう使うのか、まずそこから考え伝えたいことを書き出してみたが止まらなかった。感謝することだけで山のようにあった。そして推しに話すチャンスを与えたら伝えきれないことも気がついていた。話せる最後の機会、言葉が聞きたい反面話したい。そんな迷いを持ちながら当日望んだ。

 伝えたいことは伝えきれた。そしてそれを超える言葉をもらった。その中での一言が

「青春の1ページをくれてありがとう」

であった。終わってフェードアウトして噛み締めて、また涙した。

これ以上の話したことの全ては心にしまって大切にしていこうと思う。こうして最初で最後のアイドルヲタク生活はとりあえず幕を下ろした。

 

7.最後に

 私が初めて推しに出会った頃は15歳だった。世間も知らない未熟者だった。小学生の頃も中学生の頃も多くをクラスで居場所がない、生きてることに価値を感じることもなく過ごした。(今考えると多少は自らに責任があると思う日々である。)正直未来が見えなくて何度か首を吊ろうとしたこともある。

 そんな人間に光とちょっとした生きる希望と輝きと違う世界をくれた。映画観てもドラマ観ても泣けない人に喜怒哀楽を与え、人の心がなかった人間に多少は人の心を備えてくれた。人生の先輩方と出会い世の中の普通では経験できない色々な経験をすることができた。もちろんそれで失ったものもある。しかしそれ以上に一生味わえない経験と出合いができた。

 思えば周囲には迷惑をかけるヲタクだったと思う。ご迷惑をお掛けした方は数知れないだろう。この場を借りて深くお詫びしたい。皆様のおかげで様々な学びも知見も授けていただいた。そんな皆様にも感謝申し上げたい。6年と9ヶ月、長いようで短い期間だった。

 

 これからはどうしようかとも思ってしまう。卒業セレモニー翌日の公演に現地で参加して空いたポジションをみてああもういないんだなとも感じた。おそらく同じ熱量で誰かに集中して見続けることはもうできないだろうなというのも実感としてある。ちょっとゆっくりと考えていきたい。 

 

 「出会いは一瞬、出会えば一生」

 

この言葉を心に留めて、出会った人を大切に、ご縁を大切に生きていこうと思う。

 

 最後になるがこれまでお世話になった諸兄に御礼申し上げる。この未熟者が少しでも大人になっていればそれは長きにわたってお付き合いいただいた皆様のおかげである。

 

そして潮紗理菜さん。

ダメ人間をまともにしてくれてありがとう。

人を信じられなかった私を救い出してくれてありがとう。

貴女が頑張るから頑張ろう、それがやる気でご褒美でした。

貴女が優しさと感謝をくれたおかげで出会えなかったであろう人に出会えました。

2017年に出会ってからこれまで、貴女に後悔させられたことなんてない、本当に幸せな期間でした。

最高の推しでした。

また笑い合って出会える日が来ることを願っています。

 

CUR8ER!

 

2023.12.26

マロンライナー